次いで寛文六年五月に至り、問屋業者は振賣の爲に拂渡すことある魚類と、魚屋ならざるものゝ店賣に供し得べき魚類との種類に關する規定を制して藩の認可を求めたりき。この時の覺書に據れば、こあぢ・こしいら・こかます・こづくら・こかれい・ずはえがに・こはまぐりの七種は、その漁獲過多にして魚屋の之を需要せざる場合に之を振賣業者に賣渡すことあるべく、こさば・いはし・きじだら・つのじ・ふぐ・たちうを・このしろ・あかえひの八種は、同一の場合に於いて四十物屋の店買とし又は振賣するものに賣渡すことあるべしとせるなり。されば漁撈者に在りては、凡べて一旦之を問屋に輸送すといへども、問屋よりは專ら魚屋にのみ提供するものと、魚屋及び振賣に提供するものと、魚屋・四十物屋及び振賣に提供するものとの三種に分かれたるなり。かくの如き區別は後世に至りて固より混同せられたりといへども、尚魚屋が必ず問屋を經由して購入する鯛・魴鮄の如き佳魚と、浦方より直接仕入るゝことを得る鰯・小鯖・小鰈等とありたるは、幾分前記の遺風を傳へたるものに似たり。凡そ魚類を販賣する商人は、皆問屋より鑑札を受くるを要し、之を有せざるものは假令振賣たりといへども尚且つ營業を爲すを許さず。されば問屋よりは日々無鑑札取糺人を市中に放ち、若しかくの如き徒を發見するときは、盡くその商品たる魚類を押取するを法とす。故に世人彼等を目して鳶といへり。魚問屋には、また資金の運用を爲すものありて、資産ある町人數名之に當る。藏宿といひしもの即ち是なり。 ふりうり覺 一、こあぢ 一、こしいら 一、こかます 一、こづくら 一、こかれい 一、すわいがに 一、こはまぐり 右色々之者多く參候而、御定之魚屋買不申時節は振賣仕候者迄に賣渡し、みせに出し不申樣に可被仰渡候。 見せうり覺 一、こさば 一、いはし 一、きじだら 一、つのじ 一、ふぐ 一、たちうを 一、このしろ 一、あかへ 右之色々、さかな多く參候而、御定魚屋買不申時節は鹽物・干物うり並振賣に賣渡し可申候。此外生肴みせへ出不申樣に可被仰渡候。 午五月十日(寛文六年) 〔金澤古蹟志〕