蔬菜も亦魚類と共に日常の食膳に必要なるものなるを以て、兩魚市場の附近に各青物市場を生じたりしものの如し。享保十年三月十日附金澤町會所横目肝煎諸事留帳に載せたる金澤市場札詮議書に、『上今町・袋町市場札元祿三年燒失以後不渡。』といへるを見るに、袋町市場は魚市場なること既に言へるが如く、而して上今町は青物市場たりしと思はれ、後魚市場の近江町に移轉するに及び、その青物市場は近江町と相隣れる青草辻に遷りたるものなるべし。青草辻は蔬菜問屋のありし所にして、金澤の商人毎朝こゝに集るを朝辻といへり。この地名今變じて青草町と稱せらる。犀川方面に在りても亦魚屋町に接續したる竪町に青物市場あり。前記金澤市場札取調書に、『竪町市場札承應二年當御場より御渡に付、町内に懸置申候處。元祿三年火事之砌札被除、肝煎方に唯今以預置申候。』といへるは、即ち青物市場の制札を承應年中初めて金澤町會所より與へられたりとの意にして、この取調を行はれたる享保十年には尚その市場の存したりしことを思ふべし。されば魚屋町の魚市場が近江町に合併したりし頃、是も同じく青草辻に集合せしにはあらざるか。この後竪町市場は一たび復興せられて定期に開かれしも、能く持續することを得ざりしは、加藤惟寅の蘭山私記に『安永七年十一月竪町に市場再立。毎月十日・十三日・廿三日。但無程相止。』といへるを以て知るべし。