凡そ下街道中、行旅の最も困難としたるを親不知の險となす。この地山脚峭立して直に海に迫り、北風強烈なる時は怒濤岸を洗ひて道途通じ難く、藩侯通過の際の如きは爲に數日滯留して海上平靜の日を待たざるべからざることありき。前田綱紀が、十月二十日附を以て長九郎左衞門に與へたる書中、『今晩至于善光寺令參著候間、氣遣有間敷候。先日者越州山之下波打候故、境に四五日逗留故令遲參事に候。』とあるも、亦初冬の風波に遭ひて容易に通過し難かりしを報じたるものにして、山之下といふは即ち親不知のことなり。この書信何れの年に係るものなるかを詳かにせずといへども、綱紀は尚綱利と署名せり。