上街道は道程遠く費用多きを要するを以て、この道を取ること尠かりしといへども、享和二年十月老侯前田治脩の歸國に際し、冬季朔風の凜烈に堪へざるを以て、請うて東海道を經しことありて二十日を費せり。又文化十一年三月前田齊廣の封國に就くに當り、越後親不知の山脚崩壤して通行し難く、而してこの天嶮は幕府の許可を得るにあらざれば領主榊原氏の擅に修理を加ふる能はざる所なりしを以て、已むを得ず東海道よりせしことあり。この日數前後十九日にして、一行の旅費凡べて金一萬五千兩に上れりといふ。その日程は即ち下に載する如し。天保十一年四月亦この道を取り、又安政五年四月齊泰が歸藩の際に於いては、神奈川・(鎌倉巡覽)・藤澤・小田原・三島・由比・岡部・掛川・濱松・吉田・池鯉鮒・起・柏原・木本・今庄・府中・金津・(鹽屋・橋立等巡覽)・大聖寺・(山中・山代等巡覽)・小松・(安宅・本吉等巡覽)・松任に泊して、第二十日金澤に入れり。上街道の里程は百五十一里餘と公稱せられ、藩の末期に於いては本馬一疋の駄賃十貫八百八十二文、輕尻は七貫百十文、人足の賃錢五貫四百六十九文を要する計算なりき。 第 一 日江戸出發品川宿泊里程三里 第 二 日川崎中休神奈川宿泊里程五里十八町 第 三 日藤澤中休大磯宿泊里程九里二十町 第 四 日箱根中休三島宿泊里程十二里八町 第 五 日原中休吉原宿泊里程六里六町 第 六 日由井中休府中宿泊里程十里十八町 第 七 日岡部中休金谷宿泊里程八里二十町 第 八 日袋井中休濱松宿泊里程十二里二十町 第 九 日新居中休吉田宿泊里程八里三十二町 第 十 日赤坂中休岡崎宿泊里程六里二十五町 第十一日池鯉鮒中休鳴海宿泊里程六里二十四町 第十二日清洲中休起宿泊里程八里十八町 第十三日大垣中休柏原宿泊里程十里二十二町 第十四日鳥井本中休木本宿泊里程十一里十八町 第十五日中河内中休今庄宿泊里程十一里十八町 第十六日脇本中休府中宿泊里程五里 第十七日福井中休金津宿泊里程十一里 第十八日大聖寺中休小松宿泊里程九里十八町 第十九日松任中休金澤着里程七里