江戸より金澤に歸る際、稀に中山道を取りしことなきにあらず。前田綱紀が享保二年九月二十七日江戸を發し、十月十三日金澤に歸着したるものはその一なり。綱紀が同五年四月二日江戸を發し、十五日京都に達し、二十三日金澤に入りたるものは其の二なり。前田齊泰の嘉永元年三月十八日江戸を出で、四月六日歸城したるはその三なり。後者は前年三月の震害により、信濃路の宿驛悉く破壞したるが爲とし、その日程は左の如く、里程百六十里餘と公稱せらる。 第 一 日江戸出發上尾宿泊里程八里二町 第 二 日吹上中休深谷宿泊里程九里三十二町 第 三 日落合新町中休板鼻宿泊里程九里十二町 第 四 日坂本中休追分宿泊里程十里七町 第 五 日望月中休和田宿泊里程十里十二町 第 六 日下諏訪中休鹽尻宿泊里程八里十八町 第 七 日贄川中休藪原宿泊里程七里二十四町 第 八 日福島中休須原宿泊里程九里九町 第 九 日妻籠中休中津川宿泊里程十里十町 第 十 日大久手中休御嶽宿泊里程十里三十町 第十一日鵜沼中休加納宿泊里程九里十三町 第十二日赤坂中休柏原宿泊里程九里二十六町 第十三日米原中休木本宿泊里程十一里十八町 第十四日中河内中休今庄宿泊里程十一里十八町 第十五日…………府中宿泊里程五里 第十六日福井中休金津宿泊里程十一里 第十七日大聖寺中休小松宿泊里程九里十八町 第十八日松任中休金澤着里程七里