北國街道に於ける驛馬の數は之を寛文年間の調査に徴するに、橘驛十七疋、大聖寺驛十一疋、動橋驛十四疋、月津驛二十二疋、小松驛五十疋、寺井驛四十五疋、粟生驛三十六疋、水島驛二十疋、源兵衞島驛二十疋、下柏野驛二十二疋、荒屋柏野驛二十疋、松任驛四十六疋、野々市驛八十七疋、金澤驛六十六疋、津幡驛百十八疋、竹橋驛六十八疋を算せり。是等の内、水島と源兵衞島、下柏野と荒屋柏野とは、各半月毎に交代して役に服す。又支線に在りては、鶴來街道に鶴來驛の百十五疋あり。宮腰街道の宮腰驛に九十六疋あり。加賀能登連絡街道に、高松驛の五十四疋、今濱驛の四十一疋あり。能登外浦街道に、一宮驛の十九疋、川尻驛の十一疋、堀松驛の十九疋、富木驛の十五疋あり。而して能登内浦街道に子浦驛の四十九疋、飯山驛の三十四疋、二宮驛の三十三疋、所口驛の三十一疋ありき。是等馬疋の數は、亦當時に於ける各地貨物運搬の繁閑を示すものと見るべし。然りといへども後世屢馬借の生計困難にして馬匹の減少を訴へたる文書を存するが故に、常に同一なりしとは斷ずべからざるなり。