


ああ歩兵七連隊63 創設は明治八年 初代連隊長に津田少佐 金沢城の御殿は病室に 小作人騒動に初出動 MYブックリストに登録

ああ歩兵七連隊64 初出動は西南の役 神戸から海路で博多へ 第三大隊は土佐警備へ 写真が語る当時の歩七 MYブックリストに登録

ああ歩兵七連隊66 日清戦争始まる 深夜、連隊本部から出火 七連隊にも動員令下る 赤痢で倒れる兵士相つぐ MYブックリストに登録

ああ歩兵七連隊65 士族に勝った平民部隊 薩軍、田原坂で激しい抵抗 討伐軍ついに包囲陣突破 第七師管の戦死役六百人 MYブックリストに登録

ああ歩兵七連隊60 三大隊は南方へ 中部太平洋へ進駐命令 くる日もくる日も穴掘り 食糧の補給も途絶えて 駆逐艦などで復員 MYブックリストに登録

ああ歩兵七連隊68 金沢に九師団誕生 遼河の氷上突撃一番乗り 下関で日清講和の談判 再び威海衛の守備につく 強大なロシアなど三国交渉 MYブックリストに登録

ああ歩兵七連隊69 盤竜山の死闘 日露開戦の詔勅が出る 火光一せん合図に総攻撃 猛射に死傷ふえるばかり 残る将兵は七十余人に MYブックリストに登録

ああ歩兵七連隊6 原田大隊長戦死 将兵の60パーセント以上が損害 敵陣地20メートル手前で銃弾 「大隊長倒れる」の悲報 伝統をかけての九日間 MYブックリストに登録

ああ歩兵七連隊6 原田大隊長戦死 将兵の60パーセント以上が損害 敵陣地20メートル手前で銃弾 「大隊長倒れる」の悲報 伝統をかけての九日間 MYブックリストに登録

ああ歩兵七連隊61 四分の一が病死 後継郷土部隊に百七連隊 中部太平洋方面に進駐 連日、激しい空襲受ける 食糧底つき飢えに苦しむ 一人で五十八柱を抱いて MYブックリストに登録
