LIBRARY of music ~音楽祭で楽しむ東欧とオーケストラの世界~

石川県立図書館 企画展 (2023.3.21~6.4)

ご挨拶

今年も「風と緑の楽都音楽祭」の季節がやってきました♪

今回のテーマは、東欧。

クラシック音楽が成熟期に達した19世紀後半、民族意識と祖国愛に満ちた素晴らしい音楽が生まれ、花開いた場所です。東欧の文化や地理や歴史を見て、読んで、たくさんの音楽を聴いてガル♪

東欧って?

どこのこと?

 〈東欧〉と聞くと、なんとなく「ヨーロッパの東のほうかな」と 思いますよね。それでは、具体的にどこの国のことなのでしょうか。実は東欧にはハッキリとした定義がありません。

 これまで、地理的にはドイツの東国境からロシアの西国境までのことを、歴史的にはハプスブルク帝国のオーストリアから東側とギリシャを除くバルカン地域のことを指してきました。冷戦終了後には、中欧・中東欧とも呼ばれるようになり、日本でも「どこの国が東欧か」は、時とテーマによって変わります。読む本によっても、定義する範囲が異なるのが東欧という地域なのです。

 この展示ではドイツと旧ソ連の間のヨーロッパ16カ国を〈東欧〉としてご紹介します。

どんなところ?

 東欧を世界地図でみると、ヨーロッパとアジア、ロシアをつなぐ位置にあることが分かります。さまざまな民族が生活し、文化や宗教が混ざりあう多様性のある地域です。

 地形をみると、北からポーランド平原、ドナウ川水系の地域、山がちなバルカン半島の3つの地域に分けられます。ドナウ川流域ではウィーン、ブダペストなどの都市が発達し、山岳地では山あいにできた集落が独自の文化を築きました。民族音楽や民族舞踊に欠かせない民族楽器、伝統的な刺繍やレースが施された華やかな民族衣装が今も残ります。

 また、ウィーンを長く統治したハプスブルク家はクラシック音楽の成熟に大きな影響を与えました。ハプスブルク家は宮廷音楽の保護に力を入れ、祝い事では盛大なオペラを上演し、巨額の費用を注ぎこんだといいます。貴族たちも専属楽団の育成に力を入れ、多くの音楽家がウィーンに集いました。この音楽への取り組みは、ハプスブルク家の文化遺産といえます。

東欧の国々をご紹介

1ポーランド共和国

首都:ワルシャワ 日本と比べた面積:日本の約80% 人口:3,801万人

隣国による支配で123年にわたって世界地図から消えていた。第一次世界大戦の後に独立。首都ワルシャワは「北のパリ」と呼ばれる美しい街なみが広がる。国土の大半が平原で、農業がさかん。パンのベーグル発祥の地。作曲家ショパンや化学者キュリー夫人の出身国。ワルシャワで5年に1度開催されるショパン国際ピアノコンクールは、1927年から続くピアニストの登竜門。

 

~ポーランドゆかりの音楽家~

・ショパン  1810-1849 作曲家 〈ピアノの詩人〉

ワルシャワに生まれる。父親はフランス人教師。パリで活躍し、39年の生涯でつくられた200近い作品の大部分がピアノ曲。ポーランドがロシアの支配下にあった当時、故郷の惨状を嘆いて《革命のエチュード》を書いたという。作家のジョルジュ・サンドと9年間交際した間に多くの名作が生まれた。恋人が創作の原動力だったようで、別れてからはほとんど作曲しなかった。ショパンの心臓は本人の希望でワルシャワの教会に眠っている。

(代表作) 《英雄ポロネーズ》《子犬のワルツ》

2スロバキア共和国/3ルーマニア/4スロベニア共和国

2 スロバキア共和国 

首都:ブラチスラバ 日本と比べた面積:北海道の約半分 人口:545万人

1918年にチェコスロバキアとして、1993年にはチェコと分かれて独立。国の大部分が山岳地帯でドナウ川沿いに首都がある。山は寒く平野はおだやかな気候。農業や牧畜、自動車づくりもさかん。中世ヨーロッパの街なみや伝統的な建物が多く残る。日本初のカヌーメダリスト、羽根田卓也選手が留学したカヌーの強豪国。

 

3 ルーマニア

首都:ブカレスト 日本と比べた面積:本州よりも一回り大きい 人口:1,903万人

ドナウ川河口にヨーロッパ最大の三角州ドナウ・デルタが広がり、ヨーロッパ全体の98%を占めるとされる3,400種以上の魚が住む。農業と工業がさかん。古くから魔女の文化があり、2011年には魔女が職業として認められた。魔女は予言を外すと罰金を払わなければいけないのだそう。元女子体操選手ナディア・コマネチの出身国。

 

4 スロベニア共和国

首都:リュブリャナ 日本と比べた面積:青森県の約2.1倍 人口:210万人

1991年に旧ユーゴスラビアから独立。アルプス山脈の南側にあり、山が多く平地は少なめ。首都は山の中の盆地にあり、冬の平均気温は0℃以下と寒い。さまざまな鍾乳洞があり、石灰岩でできた土地が多い。中でもポストイナ鍾乳洞はヨーロッパ最大級。また、自動車などの製造業もさかん。

5クロアチア共和国/ 6ボスニア・ヘルツェゴビナ/ 7セルビア共和国

5 クロアチア共和国

首都:ザグレブ 日本と比べた面積:四国と九州を合わせたくらい 人口:387万人

1991年に旧ユーゴスラビアから独立したが、1998年まで争いが絶えなかった。西はアドリア海に面し、東には山地が広がる。港町ドブロブニクは「アドリア海の真珠」ともいわれる美しさ。ネクタイはクロアチア兵が首に巻いていた布から生まれたといわれる。マグロが日本に多く輸出されていて、毎年「マグロ、寿司&ワイン祭」がザダルで開かれている。

 

6 ボスニア・ヘルツェゴビナ

首都:サラエボ 日本と比べた面積:九州と福島県を合わせたくらい 人口:326万人

1992年に独立。国土の大半は山地で、首都サラエボは夏と冬の気温差が大きい。モスタル旧市街にある古い橋、スタリ・モストは国のシンボル。サラエボ動物園は民族間の争いで動物を失ったのち、1羽のフクロウから再スタートし、今では年間約50万人もの人が訪れるまでに復活した。サッカー日本代表のオシム元監督の出身国。

 

7 セルビア共和国

首都:ベオグラード 日本と比べた面積:北海道より一回り小さい 人口:693万人

2006年にセルビア・モンテネグロが2つに分かれてセルビアとなった。山が多く、気候はおだやか。ローマ帝国時代の古い建物が多く残されている。地下資源が多く、金属などの製造業がさかん。2003年、日本政府は援助として93台の黄色いバスを贈った。このバスはヤパーナッツ(JAPANAC) と呼ばれ、今でも大切に使われている。

8ブルガリア共和国/ 9モンテネグロ/10コソボ共和国

8 ブルガリア共和国

首都:ソフィア 日本と比べた面積:日本の約3分の1 人口:690万人

国の中央を東西にバルカン山脈が走る。「バラの谷」と呼ばれる谷があり、世界有数のローズオイルの産地。ブルガリアヨーグルト発祥の地で、ブルガリア人は日本人の約10倍ものヨーグルトを食べる。日本では首を縦にふると「はい」、横にふると「いいえ」だが、ブルガリアではその反対となる。元大関の琴欧州の出身国。

 

9 モンテネグロ

首都:ポドゴリツァ 日本と比べた面積:福島県と同じくらい 人口:62万人

2006年に独立。「黒い山」という意味の国名どおり山が多く、4つの国立公園がある。北部の山にはオオカミなどが生息し、南部の湖には渡り鳥がくる。西部はアドリア海に面し、コトル湾は「アドリア海の秘宝」といわれる美しさ。東部にはモンテネグロ語で「日本」という意味のヤパンという村がある。

 

10 コソボ共和国

首都:プリシュティナ 日本と比べた面積:秋田県と同じくらい 人口:179万人

2008年に独立。民族間の争いが長くつづいていたため、国の経済はまだ不安定。北部は季節の気温差がはげしく、南部の冬は雨や雪が多い。国内には古い教会や修道院が多く残る。独立のための争いで楽器を失ったコソボ・フィルハーモニー交響楽団は、日本が約90点の楽器を贈り、復活。首席指揮者には栁澤寿男が就任。

11北マケドニア共和国/12アルバニア共和国/13ギリシャ共和国

11 北マケドニア共和国

首都:スコピエ 日本と比べた面積:長野県と新潟県を合わせたくらい 人口:207万人

1991年に旧ユーゴスラビアから独立。2019年に国名が「北マケドニア」になった。5カ国に囲まれ、大半が山地で農業がさかん。首都の夏は40℃をこえ冬は-10℃になる。ノーベル平和賞のマザー・テレサはスコピエ出身。50年以上前の首都地震で街が壊れたとき、建築家の丹下健三が立て直しを手がけた。

 

12 アルバニア共和国

首都:ティラナ 日本と比べた面積:福島県の約2.1倍 人口:284万人

山あいにある小さな国。海沿いは温暖な気候。歴史ある建造物が多く残り、ギロカストラは「博物館都市」と呼ばれている。日本はこれまで小学校や小児科などの環境を整え、救急車を贈るなどの支援をしてきた。2016年には首都に桜の木が植えられ、「日本の桜の道」と呼ばれる桜並木がある。

 

13  ギリシャ共和国

首都:アテネ 日本と比べた面積:日本の約3分の1 人口:1,067万人

バルカン半島南部と3,000以上の島々からなりたち、海運業がさかん。様々な面でヨーロッパ発展の土台となった国で、オリンピック発祥の地。聖火はギリシャで点けられ、閉会式ではギリシャの国歌が演奏される。国歌《自由への賛歌》は実は158番まであるが、全て歌うと1時間かかるので公式では2番までしか歌われない。キプロス共和国と同じ国歌でもある。

14チェコ共和国

首都:プラハ 日本と比べた面積:北海道より少し小さい 人口:1,051万人

プラハは14世紀にローマ帝国の首都としてさかえた。16世紀、ハプスブルク家の支配下に入る。1918年、スロバキアとともにチェコスロバキア共和国を建国。社会主義体制ののち、1993年、スロバキアと分離し独立。

 

 首都プラハは約700年前の姿を残し、プラハ歴史地区として世界遺産に登録されています。聖ヴィート大聖堂など歴史的な建造物が残る街なみは「中世の宝石」といわれる美しさです。プラハは芸術のさかんな文化都市で、作家では『変身』のカフカ、画家ではフランスで活躍したアルフォンス・ミュシャなど多くの芸術家が誕生しました。チェコの人形劇は18世紀から続き、9つあるプロの劇団が全国の劇場で活動しています。

 国の西部ボヘミア地方の中央をモルダウ川が南から北へと流れます。ボヘミア地方では工業化が進み、多くの日本企業が進出しています。チェコは1人あたりのビール消費量が25年以上世界1位であり、ビール醸造所の多くがボヘミア地方で営業しています。また、ボヘミアガラスも有名です。

 

~チェコゆかりの音楽家~

・スメタナ  1824-1884 ピアニスト、指揮者、作曲家 〈チェコ近代音楽の父〉

リトミシュルに生まれる。父親はビール醸造技術者。音楽の才能に恵まれ、6歳で演奏会を開いた。プラハで活動したのちスウェーデンに移るが、チェコ民族復興運動に共感して帰国し、チェコ・オペラをつくるなどチェコ国民音楽を確立。晩年は難聴になり、代表作《我が祖国》は完全に失聴してから書き上げられた。プラハの春音楽祭は、毎回スメタナの命日である5月12日に《我が祖国》で幕を開ける。

 (代表作) オペラ《売られた花嫁》 、弦楽四重奏曲《わが生涯より》

 

・ドヴォルザーク  1841-1904 ヴィオラ奏者、作曲家

ネラホセヴェス村に生まれる。家業は宿屋兼肉屋で、父親はツィターの名手。小学校で音楽を習い、父の反対を受けながらプラハ・オルガン学校に入学。卒業後は苦しい生活の中ヴィオラ奏者として活動し、指揮者に就任したスメタナの薫陶を受けた。ブラームスに見いだされて作曲家として知られるようになり、ニューヨーク国民音楽院の院長に招かれる。死の際は国葬が執り行われた。実は大の鉄道マニア。

 (代表作) 《スラヴ舞曲集》第1集、第2集、交響曲第9番《新世界より》

 

ヤナーチェク  1854-1928 作曲家、民謡収集家

フクヴァルディに生まれる。父親は小学校教師。11歳の時に聖歌隊に入る。教員として働きながら学校で作曲法などを学び、ドヴォルザークに影響を受ける。1881年にブルノ・オルガン学校を創立し、1884年に雑誌『音楽通報』を創刊。故郷のモラビア民謡を収集し、リズムなどを作品に取り入れた。作曲家として最も活動したのは60歳を過ぎてから。その原動力は38歳年下の若い人妻との恋だったとか。

 (代表作) オペラ《イェヌーファ》、《シンフォニエッタ》

15オーストリア共和国

首都:ウィーン 日本と比べた面積:北海道と同じくらい 人口:892万人

13世紀末、ハプスブルク家の領地となる。15世紀、ハプスブルク家が神聖ローマ帝国の帝位について以降、ヨーロッパに大きな影響を与えた。1938年にナチスドイツに併合、第二次世界大戦後は米英仏ソの4カ国が占領。1955年に独立、戦争に介入しない永世中立国になることを宣言。

 

 800年くらい前から長い間、貴族のハプスブルク家が国を支配し、ドナウ川沿いの街ウィーンは首都としてさかえてきました。当時の貴族たちは音楽や芸術に親しみ、偉大な音楽家が多く集いました。一般市民の音楽への関心が高まると、新たな劇場やコンサートホールが建てられるようになりました。現在は「音楽の都」とよばれ、演奏会やオペラ、バレエが毎日のように上演されています。

 500年以上前から続くウィーン少年合唱団には約100人が所属し、4つのグループに分かれて世界中で300ものコンサートを行っています。カフェ文化も有名で、ザッハトルテ、ウィンナーコーヒーはウィーン発祥です。

 また、国土の3分の2は山地でスキーの強豪国です。日本のスキー発祥は約110年前、オーストリア・ハンガリー帝国の軍人レルヒ少佐の指導によるものです。

 

~オーストリアゆかりの音楽家~

・ハイドン  1732-1809 作曲家〈交響曲の父〉〈古典派音楽の父〉〈弦楽四重奏曲の父〉

当時のハンガリー領ローラウに生まれる。父親は車大工 。音楽の才能に恵まれ、8歳でウィーンの聖歌隊に。フリーで活動したのちハンガリーの大貴族エステルハージ家の楽長として30年にわたり仕え、100以上の交響曲、 約80もの弦楽四重奏曲、ピアノ・ソナタなどを作曲。引退後はウィーンで暮らした。現在のドイツ国歌はハイドンの作曲で、オーストリア帝国の皇帝に捧げた《皇帝讃歌》がもと。

 (代表作) 交響曲第94番 《驚愕》、オラトリオ《天地創造》

 

・モーツァルト  1756-1791 作曲家

ザルツブルクに生まれる。父親のレオポルト・モーツァルトは宮廷音楽家で、父親に才能を見出される。6歳の時に女帝マリア・テレジアの前で演奏し、周囲を驚かせた。父と同じ宮廷楽団に仕え、25歳の時にフリーへ転身。35年の短い生涯で、オペラ、交響曲、ピアノ協奏曲など600~700曲を作曲。有名なザルツブルク音楽祭はモーツァルトを讃え、必ず彼のオペラが上演される。

 (代表作) オペラ《ドン・ジョヴァンニ》、オペラ《魔笛》

 

・シューベルト  1797-1828 作曲家 〈歌曲の王〉

ウィーンの郊外に生まれる。校長で音楽教師の父親から音楽教育を受けた。31年の短い生涯で600あまりの歌曲を作曲。歌曲とは詩に曲がついた歌のことで、有名な《魔王》はゲーテの詩に曲をつけた10代の頃の作品。学生管弦楽団で活躍していた時、お小遣いが足りなくて五線紙が買えなかった彼を支えたのは、新曲を披露するたびに拍手喝采とともに五線紙をプレゼントした仲間たちだった。

 (代表作) 交響曲《未完成》、弦楽五重奏曲《ます》

 

・ヨハン・シュトラウス1世  1804-1849 作曲家、指揮者、ヴァイオリニスト 〈ワルツの父〉

ウィーン郊外に生まれる。父親は居酒屋を営み、少年期は店の楽士の演奏をテーブルの下に隠れて聴いていたという。父の急死後は奉公に出されるが、年少の楽士としてパーマー楽団に入団。19歳の時ランナー楽団に移り、のちに自分の楽団をもつ。ランナーとヨハンのワルツはウィーン中を熱狂させ、ウィーン・ワルツをヨーロッパ中に広めた。250曲以上の作品のうち、ワルツは150曲を超す。

 (代表作) ワルツ《クラップフェンの森》、行進曲《ラデツキー行進曲》

 

・ヨハン・シュトラウス2世  1825-1899 作曲家、指揮者、ヴァイオリニスト 〈ワルツの王〉

シュトラウス1世の長男としてウィーンに生まれる。父から音楽の道に進むことを反対され、銀行家などの教育を受けた。母の助けで音楽の勉強を続け、18歳で鮮烈なデビューを飾る。激怒した父とライバル関係になるが、23歳の時に父が他界すると楽団を統合し、世界で活躍した。ワルツ約150曲のほか、ポルカ、オペレッタを作曲。《美しき青きドナウ》はオーストリア第2の国歌として親しまれている。

(代表作) ワルツ《ウィーンの森の物語》、オペレッタ《こうもり》

 

・ブルックナー  1824-1896 作曲家、オルガン奏者

北部リンツに生まれる。小学校教師でオルガニストでもあった父親から音楽教育を受けるが、父が亡くなり修道院へ。聖歌隊で音楽を学び、17歳で小学校の助教員として働きはじめる。リンツ大聖堂の首席オルガニストになったのち、ウィーン音楽院の教授に。ひたすら交響曲を書き続け、習作を除くと9曲の交響曲を書いた。作曲家として名声が高まったのは晩年近くになってから。

 (代表作) 交響曲第3番《ワーグナー交響曲》、交響曲第4番《ロマンティック》

 

・マーラー  1860-1911 作曲家、指揮者

カリシュト(現チェコ)に生まれる。父親はユダヤ系の実業家。10歳でピアノ演奏会を行い、15歳でウィーン音楽院に入りブルックナーの講義を受ける。卒業後は指揮者として華々しく活躍し、オペラ指揮者として最高のポストであるウィーン宮廷歌劇場の総監督に就任。活躍のかたわら作曲を続け、自らの指揮で発表した。マーラーの死後半世紀経ってから、彼の交響曲は爆発的なブームとなった。

 (代表作) 交響曲第1番《巨人》、《大地の歌》

 

・シェーンベルク  1874-1951 作曲家

ウィーンに生まれる。父親はユダヤ人の商人。9歳の時には独学で作曲をしていた。16歳で父が亡くなると銀行で働きはじめるが、アマチュア管弦楽団でも活動。銀行が破産すると音楽に専念、作曲を学んだ。その後ドイツで活動し音楽院で教授になるが、ヒトラーが政権を取ると職を追われアメリカへ亡命。12音技法という新しい作曲技法を発明し、20世紀の音楽界に最も大きな影響を与えた。

 (代表作) 弦楽六重奏曲《浄められた夜》、オペラ《今日から明日まで》

 

・ブラームス  1833-1897 作曲家

ドイツに生まれる。父親はコントラバス奏者。生活が苦しく、13歳頃から酒場などでピアノを演奏し家計を支えた。20歳頃から演奏旅行を始め、のちにウィーンに定住。シューマンが雑誌にブラームスを紹介したことで表舞台に立つ。演奏旅行で聴いたロマ音楽を《ハンガリー舞曲集》に取り入れ、世界中で人気に。シューマンとは公私ともにつきあい、シューマンの死後もその家族を支えた。

 (代表作) 《ドイツ・レクイエム》、交響曲第1番

16ハンガリー

首都:ブダペスト 日本と比べた面積:北海道と青森県を合わせたくらい 人口:970万人

18世紀、ハプスブルク家の支配下に入る。1867年、オーストリア・ハンガリー二重帝国が成立。戦後は社会主義のハンガリー人民共和国として出発。1989年、共産党政権が倒れ、ハンガリー共和国が成立。2012年に国名を「ハンガリー」へ。

 

 首都ブダペストの中央には、大河ドナウ川が流れています。右岸のブダ、左岸のペストという2つの地区は、くさり橋で結ばれています。夜には橋に灯りがともり、華麗な真珠の首飾りがかかります。ブダペストが「ドナウの真珠」と呼ばれるゆえんです。ドナウ川のほとりに建つ国会議事堂は、世界一美しい国会議事堂といわれています。ハンガリーは世界有数の温泉大国で、首都は「温泉都市」の称号を与えられています。古代ローマで公共浴場が大繁栄して以降、温泉は国の中心的な役割を担ってきました。

 国民舞踊といわれるチャールダーシュは、特に有名な民族舞踊です。19世紀前後に急速に広まり、民族統合の機運と相まってハンガリー文化を代表する踊りとなりました。自由かつ豊かな舞踊文化は、今なお息づいています。

 また、ルービックキューブは建築学者エルノ・ルービックの発明です。

 

~ハンガリーゆかりの音楽家~

・リスト  1811-1886 ピアニスト、作曲家 〈ピアノの魔術師〉

ドボルヤーン(現オーストリア)に生まれる。父親は宮廷楽団のチェロ奏者。父にピアノを習い、9歳で演奏会を開いた。ウィーンでコンサートを開いてから一躍スターに。16歳の時に父が亡くなり一度音楽家の道を諦めるが、のちに当代随一のピアニストとして全ヨーロッパに名を馳せた。交響詩というジャンルを確立し、後年は音楽家の支援に力を注いだ。女性に大人気で、恋多き人生だった。

 (代表作) 交響詩《前奏曲》、《ハンガリー狂詩曲》

 

・バルトーク  1881-1945 ピアニスト、作曲家、古民謡の採集・研究家

ナジセントミクローシュ(現ルーマニア)に生まれる。父親は農学校校長で音楽愛好家、母親はピアノ教師。11歳の時にピアニスト及び作曲家としてデビュー。「真のハンガリー音楽」の確立を目指し、コダーイと協力して民謡を約2万曲採集・研究した。作曲にハンガリー特有の音楽表現を取り入れ、《弦楽四重奏曲第4番》など室内楽のための傑作を生んだ。

 (代表作) オペラ《青ひげ公の城》、《弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽》

 

・コダーイ  1882-1967 作曲家、民族音楽学者、教育家

父親は鉄道員で、子供時代はハンガリー国内を移り住んだ。その時に様々な民謡に触れたことが民謡研究の原点。高等学校で音楽を学び、作品を書き始めた。バルトークとともに民謡採集を行い、『ハンガリー民謡大観』などを出版。作曲家としては《ハンガリー詩篇》で知られる。学校教育では独自の教育法「コダーイ・メソッド」を提唱し、日本では合唱や音楽教育関係者の間でとくに知名度が高い。

 (代表作) 《ハーリ・ヤーノシュ》、《ガランタ舞曲》

クラシック音楽全史 松田亜有子‖著 ダイヤモンド社 2018.10

クラシック名曲全史 松田亜有子‖著 ダイヤモンド社 2019.10

クラシック音楽って、 どんな音楽?

 一般には、8~19世紀頃にヨーロッパで展開された音楽を指します。狭義の場合でも17~19世紀頃の西洋音楽のこと。そもそものくくり方が大雑把なので、演奏する楽器の編成、曲の種類も様々で、時代によっても趣向が異なります。

 なにか小難しそう・聴いていると眠たくなる、といったイメージがあるかもしれません。でも実は、コマーシャルや映画で使われていたりして、どこかで聴いたことがある曲も多いはず。色々と聴き比べていると、お気に入りの時代や作曲家が見つかるかもしれません。

 

※ナクソス・ミュージック・ライブラリー

石川県立図書館の館内では「ナクソス・ミュージック・ライブラリー」という音楽データベースが利用できます。このデータベースには、クラシック音楽を中心にジャズやポピュラー音楽など200万タイトル以上の曲が収録されているので、気軽に聴き比べするのに持ってこいです。

お手持ちのスマホなどで、ナクソス・ミュージック・ライブラリーにアクセスしてみましょう。

オーケストラって、なんだろう?

 弦楽器と管楽器の両方の奏者がいる「いろいろな楽器を使った合奏」を行う楽団です。古代ギリシャの“器楽や踊りのための空間=オルケストラ”からきています。

 オーケストラの一般的な編成でよく使われている楽器をご紹介します。ほかにもゲスト的に使われる楽器も沢山あるので、コンサートに行ったらチェックしてみましょう! 

※指揮者 舞台の中央で、客席に背中を向けてオーケストラに指揮棒を振っている人のこと。手で指揮する指揮者もいます。曲の始まりを合図したり、テンポを指示したりするだけでなく、「どのような音楽に仕上げていくか」のまとめ役でもあります。

弦楽器

ピンと張った糸をふるわせて、空箱のようなもので共鳴させて音を出す仕組みを持つ楽器です。

 

ヴァイオリン

オーケストラで一番多くの奏者がいて中心的役割を果たす花形楽器。輝かしい音色と、豊かな表現力が特長。

 

ヴィオラ

ヴァイオリンよりも10㎝ほど大きく、少し低い音を担当。甘くて落ち着いた音色でオーケストラの厚みをもたらす、なくてはならない存在です。

 

チェロ

ヴァイオリンの倍くらいの大きさで、床に立てて演奏する低音域の楽器。豊かで温かい音色は「人間の声に一番近い」と言われる心地よさ。

 

コントラバス

チェロよりもさらに大きく、ずっしりとした低い音で演奏を支えます。ヴァイオリンと似たような形ですが、その祖先は「ヴィオール」という別の楽器。

木管楽器

長い管に息を吹き込んで音を出す「笛」のこと。管の穴を開け閉めして音を変えます。「木」管だけれど、金属でできているものも。

 

フルート

高い音で華麗にメロディを奏でる「横笛」で、豊かな表現の持ち主。同じような構造でもっと小さく・もっと高い音が出る「ピッコロ」もよく活躍します。

 

オーボエ

どこか懐かしい、温かな音色が特長の「縦笛」。オーケストラが演奏を始める前の音合わせのときに基準になる楽器です。

 

クラリネット

18世紀生まれのオールマイティな楽器。広い音域と豊かな音色で、クラシックだけでなくジャズなど他ジャンルでも活躍します。

 

ファゴット

全長2.4メートルの太い木製の管を途中で折り曲げて持ちやすくした低音楽器。素朴でユーモラスな音色が魅力的。

金管楽器

奏者のくちびるそのものをふるわせて音を出す楽器。息が通る長さを調整して音を変えます。

 

ホルン

細い管とおおきなベルからなる、中音域の楽器。やわらかい音色の持ち主で、金管楽器にもかかわらず木管五重奏のメンバーにもなります。

 

トランペット

輝かしい音色で高い音域を担当する、金管楽器の中心的存在。 式典などの開始を告げる「ファンファーレ」が得意。

 

トロンボーン

管を伸ばしたり縮めたりして音を変える、見た目もたのしい中低音の楽器。違った高さの音を滑らかにつないだ演奏が可能です。

 

テューバ

低い音を出すために管を長くしていった結果、とても大きくなった楽器。200年ほど前からオーケストラに仲間入りし、ずっしりとした音で響きを支えています。

打楽器

たたいたり、ふったり、こすったりして音を出す楽器。曲によって登場する楽器も活躍する楽器も変わります。

 

ティンパニ

おおきなお鍋のような胴体に皮を張った太鼓。大きさによって音域が異なり、曲によって2~5個をセットで使います。存在感もサイズも大きい!

 

小太鼓

直径35㎝ほど、深さも15㎝程度の小さな太鼓です。二本のばち(スティック)でたたいて音を出します。オーケストラのリズムの要。

 

大太鼓

直径70~100cmほど、深さ35~50cmほどの大きな太鼓です。ずしんと響く音は迫力満点。

 

シンバル

直径40~60cmほどの金属製の円盤を2枚打ち合わせて音を出します。ここぞという場面の盛り上げ役。

音楽祭で聴ける楽団をご紹介♪

ヤナーチェク・フィルハーモニー管弦楽団

 チェコ第3の人口規模を誇る工業都市オストラヴァを本拠地とするチェコ有数のオーケストラ。1954年にオストラヴァ交響楽団として設立され、1971年よりオストラヴァと縁が深い、20世紀を代表する作曲家レオシュ・ヤナーチェクの名を冠するようになりました。

 オストラヴァ近郊では、レオシュ・ヤナーチェク国際音楽祭が開かれ、野外を含むコンサートとオペラが演奏されています。

群馬交響楽団

 「オーケストラをもっと身近に」を合言葉に、群馬県高崎市を拠点に活動するオーケストラ。1945年に戦後の荒廃の中で設立され、楽団の草創期はNHK『プロジェクトX~挑戦者たち~』でも紹介されました。

 充実した企画と卓越した演奏技術による質の高い演奏会を行っており、創立75周年を迎えた2020年には、ベトナム国立交響楽団との『音楽の力で世界を「つなぐ」群響演奏会』を開催。そのほか、NHK朝の連続テレビドラマ小説『ファイト』では主題曲を担当したり、青少年のための音楽教育プログラムや出張演奏を行ったりするなど、幅広く活動しています。

ムジコローレ/ ウィーン チェロ・アンサンブル5+1/ヘルシンキ大学男声合唱団

ムジコローレ

ハンガリーで2014年に結成した、6人組の合唱グループ。中世のグレゴリオ聖歌から現代曲まで、様々なジャンルの音楽をレパートリーとしています。

 

ウィーン チェロ・アンサンブル5+1

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の団員を中心としたチェロ奏者5名+フルート奏者1名による六重奏。クラシック音楽の名作をチェロとフルートの編成曲として演奏したり、1挺のチェロを4名で演奏したりするなど、ユニークな活動も行っています。

 

ヘルシンキ大学男声合唱団

1883年に創設されたフィンランド語歌唱によるもっとも古い声楽団体。シベリウスをはじめ多くの作曲家が作品を献呈し、タンゴからクリスマス・ソングまで幅広いレパートリーを持ちます。フィンランドを世界有数の合唱王国へと押し上げました。

オーケストラ・アンサンブル金沢

 1988年に、多くの外国人を含む40名からなる日本最初のプロの室内オーケストラとして石川県と金沢市が設立。世界的指揮者、故岩城宏之が創設音楽監督を務め、本拠地・石川県立音楽堂での世界的アーティストとの共演による定期公演や、日本各地・海外の音楽祭での公演など、年間の公演数は約100にも及びます。

 楽団設立時から、作曲家と期間契約を結んで新曲の提供・指導を受ける制度を設け、多くの委嘱作品を初演、CD化しています。2022年9月より広上淳一がアーティスティック・リーダーに就任。

古都のオーケストラ、世界へ!:「オーケストラ・アンサンブル金沢」がひらく地方文化の未来 潮博恵‖著 アルテスパブリッシング 2014.9

展示の様子

全体の様子

期間中は大勢の方に足を運んでいただきました。

パネル展示

上で紹介した画像は、すべて期間中パネル展示されていたものです。

ガラスケース展示

会場では、民音音楽博物館からお借りした東欧の様々な楽器や資料を展示しました。その一部をご紹介します。

 

ツィンバロム(写真・上段左)

中欧や東欧の地域で見られる大型の打弦楽器です。台形の箱に張った金属製の弦を2本のバチでたたいて演奏します。コダーイやストラヴィンスキーといった近現代の作曲家の作品にも用いられています。特にコダーイの《ハーリ・ヤーノシュ》で使われているのが有名です。

 

ツィター(写真・上段右)

オーストリア、ドイツ、スイス等でなじみのある弦楽器です。5本のメロディー弦を右手親指で、30 本の伴奏弦を残りの指を使って演奏します。左手でメロディー弦のフレットを抑え、音程を変えます。

 

ヴィオラ・ダモーレ(写真・中段左)

4つの弦を持つヴィオラに対し、ヴィオラ・ダモーレは6~7本の演奏弦と同数の共鳴弦を持つ楽器です。「愛のヴィオラ」を意味するとおり、温かい音色が特長です。

 

フランツ・リスト自筆譜(写真・中段右)

リストが書いた楽譜です。作品名は《墓とばら》。歌詩(作詩)は『レ・ミゼラブル』の著者、ビクトル・ユゴーです。

 

グスタフ・マーラー自筆書簡(写真・下段左の左)

妹のEmma宛ての書簡で、弟のAloisへの手紙をわたすよう、さらに、別の弟のOttoの消息を伝えるよう頼んでいるものです。

 

ヨハン・シュトラウス自筆譜(写真・下段左の中)

ヨハン・シュトラウスⅡ世が作曲した《皇帝円舞曲》の引用譜で、自筆サイン入り。

 

フランツ・レハール自筆書簡(写真・下段左の右)

レハールが70歳の時にある婦人から頂いたクリスマスの挨拶に対する返事です。「…この前の夏、イシルに来られたあなたをしばしば喜びつつ思っております。近いうちに再びお会いできたらと思っています。

  

フランツ・リスト自筆書簡(写真・下段右)

リストが秘書ベローニに宛てたお手紙です。当時リストは、ショパンに関する書籍を出版する予定であり、出版に関する内容が書かれています。

楽器の音色がすぐ聴ける世界の民族楽器図鑑 民音音楽博物館‖監修 河出書房新社 2018.7

新しいMY SHOSHOのタイトル