[企画展]暮らしのなかの工芸~器と布~

暮らしのなかの器と食文化

暮らしのなかの器

日本では古来より、衣・食・住のあらゆる場面で、季節にあわせた暮らしを楽しんできました。食においては、旬の食材を目でも楽しむために、工夫をこらした器が用いられてきました。石川では、海と山からもたらされる豊かな食材が食文化を育み、さらに料理人の技術、名工の手による器なども発展してきました。現在まで工芸が盛んである理由のひとつは、食文化であるといえます。2024年11月9日~12月8日に石川県立美術館で開催される企画展「食を彩る工芸」では、石川の食文化を彩りあるものにしている工芸品に着目し、さまざまな食の場面で、それらがどのように用いられてきたのかが紹介されます。

また、石川では美術館のみならず、伝統ある料亭や料理旅館でも食にまつわる工芸品が数多く所蔵され、実際に使われてきました。「食を彩る工芸」では、そうした食の名店が使用してきた工芸品のほか、ハレの日に用いられた食器や四季を楽しむ器、お茶席や茶屋でのしつらえに用いられる道具などが展示されます。ここでは「食を彩る工芸」から器を中心に、石川県立美術館で実際に展示される工芸品の写真とあわせて紹介します。

日本料理

日本料理は日本の気候、風土、歴史のなかで育まれた料理です。南北に長く、四季が明確で海・山・里と豊かな自然が広がることから、日本では各地で豊富な食材がとれ、素材の味わいを活かした調理がなされます。また食事の場で、自然の美しさや四季の移ろいを表現することも特徴のひとつです。季節の花や葉などで料理を飾りつけたり、季節にあった調度品や器を利用することで季節感を楽しみます。

器には陶磁・漆・ガラスなど、さまざまな素材が用いられます。他にも、日本の慣習や年中行事とも密接に関わっていることも特徴にあげられます。自然の恵みである食を分けあい、食の時間をともにすることで、家族や地域の絆を深めてきました。伝統的な日本料理の分類には、貴族社会の宴や接待における大饗(だいきょう)料理、修行僧の食事として生まれた精進(しょうじん)料理、武士たちのもてなしである本膳(ほんぜん)料理、茶の湯の成立とともに発展した懐石(かいせき)料理、朝廷や幕府のための接待や式典用のための有職(ゆうそく)料理の5つがあります。このうち、現在の日本料理の基礎とされるのが本膳料理です。個別の料理を盛った器を膳にのせてふるまいます。宴の規模によって料理が増え、次第に器が多様化して、料理との調和が求められるようになったと考えられます。

加賀料理

加賀料理は京料理をルーツのひとつとしていますが、実ははっきりとした定義はありません。江戸時代、加賀藩主前田家は工芸や茶の湯などの文化の庇護(ひご)に努め、多様な文化を成熟させました。そのようななかで料理文化も独自に発達し、戦後になり加賀料理と呼ばれるようになったと考えられます。加賀料理の特徴に、料理と器が織り成す絶妙な調和があります。四季折々の海山の食材をふんだんに使った郷土料理が、長い歴史のなかで大陸から伝わった交易品や文化を取り入れてさらに魅力を増し、優美な蒔絵を施した漆器や色鮮やかな陶磁器に彩られ、この地ならではの独自性と文化性、もてなし料理としての洗練性を備えたものとなりました。さらに、地域性豊かな慣習や、行事特有の料理に応じても器は発展しました。正月には加賀料理を代表する「じぶ煮」が、華やかな蒔絵が施された漆の椀に盛りつけられます。婚礼料理の代表「鯛の唐蒸し」は大皿に盛られ、婚礼に関わった人々それぞれに分け与えられます。他にも婚礼専用の祝い膳や、能登地方で現在も行われている神事「あえのこと」における神をもてなす御膳の器など、多様な器が石川の食文化を彩っています。

行楽

行楽という言葉は「山野などを訪れて遊ぶこと」が本来の意味であり、野外で人々が楽しむ様子は、室町時代から江戸時代にかけての風俗画にも描かれています。ここに欠かせない料理の器や道具に、弁当箱や重箱があります。そもそも弁当(辨當)とは、あらかじめ用意したものを割り当てるという意味で、容器のなかに詰められた料理を指す言葉でしたが、桃山時代ごろからその容器をも弁当と呼ぶようになったと推測されます。それが江戸時代に入り、より定着していったようです。また重箱は諸説ありますが、室町時代の書院のしつらいに欠かせなかった、唐物(からもの)の食籠(じきろう)が転用されたと考えられています。食籠はもともと漆器で、円形の蓋付容器ですが、提手付きの籐や竹製のものも存在し、持ち運ぶ必要性から、提重(さげじゅう)(手に提げて持つ重箱)へと変化しました。江戸時代以降、食生活の変化とともに、食を中心とした文化が発展し、それに伴って飲食容器の用途も広がりを見せ、屋内・屋外問わず、人々が各々楽しむかたちへと変化していきました。当時の行楽の様子は、風俗画に描かれており、そこに描かれている器には、現在まで大切に伝えられているものもあります。

菓子と器

石川は菓子どころとして知られており、東京や京都などと並んで「お国もの」(その地域内で作られたもの)だけで茶会を行うことができる土地です。江戸時代、加賀藩では藩祖・前田利家が千利休や織田有楽斎に茶の湯を学び、3代藩主・前田利常は小堀遠州ら当代きっての茶人と交流し、茶の湯の指導とともに、美術工芸の収集や職人の育成に力を入れました。その後の歴代藩主も、茶の湯を通じた文化奨励に取り組みました。明治維新から近代を通じて戦災被害が少なく、茶道具の名品がこの地の数寄者のもとに集まったことも、茶の湯が盛んになる文化的土壌を育んだと考えられます。このような歴史背景のもと、大樋長左衛門(おおひちょうざえもん)や宮﨑寒雉(みやざきかんち)といった現代まで続く名工たちが育ち、大樋焼の茶碗や寒雉釡の茶の湯釡のような工芸品が数多く誕生しました。また、茶の湯に欠かせない菓子づくりも前田家より奨励され、発展しました。そのなかで茶の湯のための菓子だけでなく、お祝い事や年中行事のなかに独自の菓子文化が根づいていったのです。嫁入りの際に配る菓子の重箱や、雛祭りの飾りに用いられる金菓糖の木型など、現在も使われる器や道具からもそのことがうかがえます。

器の装飾

器のなかには、外側は無地で内側のみに豪華な装飾を施したものが見られます。草花を描いた銘々盆は、菓子を盛りつけると装飾が隠れてしまいますが、供された客は菓子をいただいた後に、改めて器の心遣いを知ることになります。嫁入り先の近所に、五色生菓子を配る風習がありますが、菓子重を包む風呂敷や袱紗(ふくさ)も、華麗な友禅装飾を内側に、無地染に家紋を染め抜いた面を外側にして相手に渡します。食べた後ゆっくりご堪能ください、というはからいです。また、装飾として器に描かれる文様はさまざまな意味をもちます。円を四等分ずつ重ねて左右上下につなげた「七宝繋ぎ」や、正六角形を上下左右につなげた「亀甲」は吉祥文として喜ばれ、波に見立てられた「青海波(せいがいは)」のように自然から着想を得た文様も多くあります。パターン化された文様だけでなく、絵画のように山水や花鳥、草花、人物などが描かれる器もあります。九谷焼は、絵の具を厚く盛りあげて塗る、九谷五彩と呼ばれる華やかな色彩と、絵画的な描写を加えた絵付が特徴です。漆器においても自然の図案が多く用いられ、各産地によって、形や肌あいだけでなく、蒔絵(まきえ)や沈金(ちんきん)などの装飾方法にも、それぞれ特徴が見られます。

器の饗宴

石川県立美術館で開催される企画展「食を彩る工芸」(2024年11月9日~2024年12月8日)では、石川を拠点に国内外で活躍する8人の工芸作家(多田幸史(ただゆきふみ)、中田博士(なかだひろし)、見附正康(みつけまさやす)、宮本雅夫(みやもとまさお)、田中義光(たなかよしみつ)、水口咲(みずぐちさき)、坂井直樹(さかいなおき)、中嶋武仁(なかじまたけひと))による「食」をテーマにした新作が展示されます。器のかたちを中心として制作を行っている陶芸、漆芸、金工、木工の作家たちの、器に対するそれぞれの想いやこだわり、工夫が大きく反映されています。展示は3 つの場面に分けられています。まず「食を彩る」では、食事の場を想定した大皿、銘々の小皿や盆がならびます。次の「一献傾ける」では、酒器のかたちをとった作品を集めています。酒の味わいを感じるために掌中で肌になじみ、香りを伝え、宴を豊かにする器です。最後の「喫茶の嗜み」では、和洋の喫茶道具、茶碗からアフタヌーンティースタンドまで、さまざまな作品が取り合わされています。新作は企画展カタログでもご覧いただけますが、ぜひ石川県立美術館にも足をお運びください。

暮らしのなかの布と工芸

暮らしのなかの布

衣・食・住のなかで、布は衣に限らずさまざまな場面で必要とされてきました。例えば、お茶席においては着物や帯以外に、古帛紗(こぶくさ)などの茶道具にも美しい布が取り入れられています。古帛紗は、お茶をいただくときなどに茶器の下に敷く小さな布ですが、最近では普段使いのインテリアとして、敷物などに使われることも多くなっています。石川の伝統的な工芸品である能登上布、牛首紬、加賀友禅、加賀小紋などの染織は、近年は和装以外で使用できる小物や雑貨も数多く展開しています。また、工芸王国といわれる石川は、繊維王国ともいわれています。降水量が多く静電気が起きにくいなどの条件が織物に適していたという理由などにより、繊維業が盛んになったといわれています。

加賀地方で産出される絹織物(加賀絹)は、文明年間(1467~ 87 年)にはじまり、加賀藩3代藩主・前田利常の奨励によって発展し、江戸時代には羽二重や紬などが織られました。明治時代に導入されたジャカード機による織物は、今も受け継がれています。ここでは、石川の伝統的な染織の歴史や特徴とともに、現在展開されている雑貨なども紹介します。

能登上布

上布とは上等な麻織物のことです。約2000年前に崇神天皇の皇女が現在の中能登町で機織りを教えたことが、能登上布の起源だと伝えられています。昭和の最盛期に織元は120軒以上となり、昭和35年には県の無形文化財に指定されました。しかし現在は稀少伝統的工芸品となり、羽咋市に唯一残る織元である山崎麻織物工房が着物や小物、ファッションを製作しています。原料となる麻は、明治以降の日本で一般的になったリネン(亜麻(あま))ではなく、日本で古来から使われてきたラミー(苧麻(ちょま))で、リネンより涼しく吸湿性があるのが特徴です。また、手織りの密度の粗さから生まれる透け感は「蝉の羽」とたとえられ、光沢感や張り感、軽やかさも魅力です。丈夫なため自宅でも洗え、洗うほど柔らかな感触となるため、経年の変化も楽しめます。手染による「櫛押(くしお)し捺染(なっせん)」「ロール捺染」と呼ばれる経緯絣(たてよこがすり)の模様も、能登上布独特の技法です。多くは幾何学模様の十字絣をはじめとする複雑な図柄で、もっとも細かいたてよこ約3 mmの十字絣は「蚊絣(かがすり)」と呼ばれます。伝統的ながらモダンな図柄と、能登の風土を映したといわれる落ち着いた色は、現代のライフスタイルにも溶け込みます。

牛首紬

牛首紬という名称は、生産地である白山市・白峰の旧地名「牛首村」に由来しています。平安時代、平治の乱(1159年)で敗れて牛首村に流れてきた源氏の落人、大畠某の妻女が機織りを伝えたのが起源とされています。白峰は、霊峰白山のふもとに位置する山村で、積雪が3~4mにもなる豪雪地帯です。雪に閉ざされる長い冬、糸を紡いで機を織りました。養蚕・機織りは貴重な現金収入の手立てであり、牛首紬は、こうした山村特有の暮らしのなかで育まれた文化のひとつでもあります。養蚕でできた繭は、生糸になるものだけが売買され、それ以外はくず繭として扱われましたが、そのなかに、二匹の蚕が共同でひとつの繭をつくる「玉繭(たままゆ)」と呼ばれるものがありました。牛首紬は、この玉繭を主として織られてきました。玉繭から手で糸を引き出しながら生糸をつくる繰糸(そうし)の工程から、織りあげるまでの20工程を一貫作業で行う織物は全国的にも珍しく、県指定の無形文化財であり、国の伝統的工芸品にも指定されています。長繊維の糸が平行に並んでいるため強く独特の光沢があり、しなやかで肌なじみがよい牛首紬は、紬織物と絹織物の両方の要素を備えていることも魅力です。

加賀友禅

加賀友禅の歴史は今から約500年前、加賀の国独特の染め技法であった無地染の「梅染(うめぞめ)」にさかのぼります。17世紀中ごろ、加賀御国染(おくにぞめ)と呼ばれる兼房染(黒系統の染色法)や色絵紋(図案化した花や松竹梅などで家紋を囲んで彩色した紋)などの技法が確立され、梅染に模様が施されるようになりました。1712年、京都で人気の扇絵師であった宮崎友禅斎が金沢に移り、斬新なデザインの模様染を次々と創案したことで大きく発展。江戸中期ごろまでは染絵掛物が中心でしたが、江戸後期ごろから大正ごろにかけて衣装がつくられるようになり、加賀友禅は全盛期を迎えました。加賀五彩と言われる臙脂(えんじ)・藍・黄土・草・古代紫を基調とし、落ち着きのある写実的な草花模様を中心とした絵画調の柄が特徴で、線にも手描きの美しさが感じ取られます。外を濃く中心を淡く染める「外ぼかし」や、虫食い跡のある葉を模様として描く「虫喰い」などの技法も独特です。加賀の武家文化のなかで培われた加賀友禅は、仕上げに染色以外の技法(金箔や絞り、刺繍など)をほとんど用いないことも、京友禅とは異なる特徴のひとつです。県指定の無形文化財であり、国の伝統的工芸品にも指定されています。

加賀小紋

加賀小紋は、繊細で小さな連続文を彫り込んだ型紙「小紋型」を用いて染める型染です。型染は平安時代、貴族や武将が革に染めたのが起源とされ、防染糊を使って型紙で染めたのは、室町時代からといわれています。加賀での小紋染は江戸時代、武士が礼服・公服として着用した裃(かみしも)(肩衣(かたぎぬ)と半袴(はんばかま))が始まりとされ、儀式や祝い事にあわせてその時々の模様を染めあげ、おしゃれを競ったといわれています。武家には定めの小紋柄があり、加賀前田家は「菊菱」でした。型紙を用いた小紋染は、やがて経済力を持ち始めた町人の服装にも取り入れられ、現在の加賀小紋へと発展していきました。小紋には「二枚白(じろ)」と呼ばれる江戸時代からの技法があります。1枚の型紙で彫り表すのが難しいほどの細かい模様を、2枚の型紙に彫り分け、2度染めることにより、細密な模様を表現する技法です。型紙を彫る手間も染める手間も通常の2倍になるため、近年ではほとんど使われなくなっていた技法ですが、現在石川で唯一の工房となった坂口染工場(4代目・坂口裕章さん)は、先代からあえてこの技法を復活させ、細密な加賀小紋を染める技術を現在も受け継いでいます。

シルクジャガード

ジャガードとは、デザイン自体を生地に織り込む織物のことです。生地の上に印刷を施すプリント生地とは違い、模様を直接編み込むことで生まれる自然な立体感が特徴です。また、たて糸とよこ糸の糸種を変えることもできるため、デザインの幅は無限にあり、複雑な柄を再現するほど重厚感も増します。そしてシルクは軽くて薄く、紫外線を通しにくい、シワになりにくいなどの特徴もあり、シルクの柔らかさにジャガードの技術が加わることで、色褪せや色落ちもしにくい高級な織物となります。しかし、シルクジャガードを織るためには繊細な技術を要するため、昭和の最盛期には県内に500軒以上あったといわれる工場も、今では加賀地区に数軒残るのみとなっています。小松市で唯一となった小倉織物は1895年に設立し、第二次世界大戦までは「紋羽二重」や「小松綸子(りんず)」(どちらも紋様を織り出す絹織物)を製造していました。戦後はシルクジャガードに特化し、現在でも1960年代の織機を使用しながら、職人の手作業により、国内外のハイブランドの生地などを織っています。2023年には自社ブランドを立ちあげ、紗のからみ織りで模様を織り出す「紋紗(もんしゃ)」を用いた雑貨なども製作しています。

石川県立図書館内の工芸品

石川県立図書館では、本だけでなく「本物」に接する機会をもうけたいとの思いから、屋内広場に文化勲章受章者・日本芸術院会員・重要無形文化財保持者(人間国宝)といった名匠たちの作品を展示しています。また、伝統的工芸品には日常使いのものもあることから、館内20カ所(以下①~⑳)のショーケースにおいて、時節に応じた入替展示をしています。ぜひ館内をめぐってみてください。

SHOSHO ISHIKAWAを活用したモノづくり

SHOSHO ISHIKAWAとは

SHOSHO ISHIKAWAとは、石川県立図書館が所蔵する160万点以上の資料のなかから、お探しの情報をすばやく、カンタンに、楽しみながら見つけることができる「資料検索サイト」です。館内の本棚で見られるような本や雑誌に加え、石川にまつわる新聞・雑誌記事、書庫で保管されている貴重資料などをまとめて検索できます。また、貴重資料のうち、江戸時代に描かれた絵図や古文書などは、デジタル化した画像データも公開しています。二次利用可能な資料については、画像データのダウンロードが可能になっていますので、資料づくりやモノづくりなどにご活用ください。

型紙のデザインでモノづくり

石川県立図書館では、江戸時代から続いた染め物屋が所蔵していた、600枚を超える染色用の型紙を所蔵しています。デジタル化した画像データは、SHOSHO ISHIKAWA(石川県立図書館の資料検索サイト)でダウンロードして活用することができます。主に加賀小紋染に使用されていた型紙で、さまざまにアレンジできるパターンデザインが多く見られます。今回、プロダクトデザイナーの原嶋亮輔さん(root design office)に、SHOSHO ISHIKAWAで公開している型紙の画像データを活用して、デザインを自由にアレンジし、トートバッグと風呂敷をつくってもらいました。

ガラスケース展示

食器類

持ち手部分が九谷焼のグラスなどを展示しました

服飾雑貨

県内の伝統工芸を使ったショルダーバックなどを展示しました

能登上布

ショルダーバック、樹脂アクセサリーブローチ

牛首紬

牛首紬先染めストール

加賀友禅

袱紗「春」、袱紗「冬」

反物

加賀小紋 小紋着尺二枚白「涼風」

加賀小紋 小紋着尺二枚白「縞に松葉」

展示の様子

全体の様子

身近な暮らしのなかで使われる器や布の工芸を紹介し、当館のそれらにまつわる所蔵資料もあわせてご覧いただきました。この企画展を契機に当館所蔵の型紙を活かしたデザインのトートバッグと風呂敷の商品化も行いました。

パネル展示

紹介した画像は、すべて会期中パネル展示されていたものです。

新しいMY SHOSHOのタイトル