昭和7年9月1日事件以来の自身に関する書簡
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タイトル | 昭和7年9月1日事件以来の自身に関する書簡 |
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作成者 | 東田平治→中田邦造 |
出版/作成年(西暦) | 昭和17年9月1日以降 |
形態 | 原稿用紙 |
種別 | |
資料群 | |
コレクション | |
キーワード | |
所蔵機関 |
タイトル | 昭和7年9月1日事件以来の自身に関する書簡 |
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作成者 | 東田平治→中田邦造 |
出版/作成年(西暦) | 昭和17年9月1日以降 |
形態 | 原稿用紙 |
点数 | 4 枚 |
注記 | 石川県河北郡七塚尋常高等小学校原稿用紙使用。原稿用紙に番号が振ってあるが1~5のうち4番6番以降欠。封筒なし。東田平治(1895~1952)…ひがしだ・へいじ。教育者。石川県河北郡花園村琴坂(現・金沢市琴坂町)出身。1916年に師範学校を卒業後、河北郡内の尋常高等小学校教諭として勤務。1925年河北郡勉致小学校長、1927年同郡笠野尋常高等小学校長、1935年同郡七塚尋常高等小学校長、青年学校長を兼任。この頃に始めた青少年文庫は会を重ねるごとに盛会となり、1931年頃から全国の注目を集め、1938年には日本図書館協会から読書指導の発展に寄与した業績で総裁賞を受けている。読書会活動を主に賞賛を受ける東田に対し、県の学務課は苦言を呈するようになり、その活動は次第に窮屈になっていったが、1943年に中田邦造から読書指導者養成所の主事職を勧められ、28年間勤めてきた教育会を去った。時局の切迫から1944年9月10日に読書指導者養成所は閉所され、同年11月から東京都立日比谷図書館に勤務。戦後は日比谷図書館で中田館長の下読書指導を行っていたが、1947年4月に東京都立品川図書館長を拝命。しかし病の為同年11月に辞職。郷里で療養に努めるも1952年5月に没した。享年57歳。 |
言語 | JPN |
種別 | |
区分 | 古典籍・古文書 |
資料群 | |
コレクション | |
キーワード | |
ID | B504000125 |
請求記号 | 504-書簡/125 |
所蔵機関 |