人物詳細

松中清吉

マツナカセイキチ

時代 明治・大正
略歴 (石川県出身)翁は明治39年4月宮城県牡鹿郡鮎川村大字鮎川浜向田の事業場建設に従事、以後、捕鯨船(当時事業船と称した)ニコライ丸廻航以来解剖に従事し、明治40年鯨を陸上げして解体することを考案し、実行。今日の解剖方式を確立した人である。また、翁は、明治44年11月1日青森県鮫事業場焼討ち事件に遭遇するなどがあったが後に東洋捕鯨株式会社事業場長を経て以後極洋捕鯨株式会社事業場長となりその後同社の傍系である小型捕鯨業を担当し、退職後、尚も別の小型捕鯨を担当、晩年となっても勤めた人である。
参考資料 近藤勲/著 『日本沿岸捕鯨の興亡』 P448

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