人物詳細

玄岳

ゲンガク

生没年 1820~1886
時代 明治・大正
別名 藻寄行蔵
略歴 医師。珠洲郡上戸町北方出身。江戸の昌平黌、京都で医学を修め、帰郷後開業。明治6年鵜川の多田六蔵とともに大蔵省に嘆願して能登194カ村のために5万余円を借用。塩専売法の制定で全国的に塩田整理が進んだが、能登の塩田は廃止を免れた。福岡県の農業技師林遠里を招いて農事改良に当たらせた。著書に『貢塩論』。珠洲市上戸町に「能登塩田再興碑」がある。
職位 能州製塩総締、珠洲郡戸長、鳳至郡河原田郷村長兼輪島町長
生年月日 1820
没年月日 1886
参考資料 『石川県大百科事典』 K030-7

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