金沢図
大型絵図で金沢をみる
寛文七年金沢図(石川県指定文化財)
寛文七年金沢図(石川県指定文化財)
写 寛文7年(1667) 1枚 560×501cm 【大型絵図65】
加賀藩による本格的な測量に基づく城下町図の作成は、正保年間(1644~48)に幕府に提出を命じられてからとされており、その後加賀藩の普請会所において万治3年(1660)、寛文7年(1667)、延宝年間(1673~81)の城下町金沢の景観を描く大型絵図が作成された。
本絵図はこのうち寛文7年成立のもので、万治3年図は確認されていないため、現存する巨大城下図のうち最古のものとなる。
縮尺は1間を1分で表した分間図(1/600)で、測量線のような朱線が引かれていることから、測量に基づいて作成されたと考えられている。
絵図端の凡例注記から、万治3年から寛文7年10月までに生じた屋敷地の変化の調査をもとに改定した絵図であることがわかり、藩主から城下に拝領地を得た人々の屋敷位置を明確に示すために作成されたものと考えられている。
延宝金沢図(石川県指定文化財)
延宝金沢図(石川県指定文化財)
写 延宝年間 1枚 589×545cm 【大型絵図66】
万治3年(1660)、寛文7年(1667)、延宝年間(1673~81)に加賀藩の普請会所で作成された城下町絵図のうち、延宝年間のもの。
縮尺は1分1間の分間図(1/600)で、大きさは現存する金沢城下町図で最大である。
絵図の成立年次は未詳だが、掲載されている藩士名の調査の結果、延宝2年の屋敷利用の現況が記載されていることが判明している。
「寛文七年金沢図」と記載内容を比較すると、惣構(そうがまえ)内部は主に重臣の居住区であるため変化は少ないが、惣構の外では、与力町の形成、城下町の外延的拡大のほか地子(じし)町の急増、地種の変化など、約7年間の城下町の変化を読み取ることができる。
また、この絵図は、早くから郷土史研究において注目され、江戸後期から大正年間にかけて4点の写本が作成されたことが確認されており、当館にも写本2点を所蔵している。